HISTORY

ロス・プリモスのHISTORY

ロス・プリモスのHISTORY

1961年

黒沢明とロス・プリモスとして結成、メインボーカルに森聖二を迎え、日本ムード歌謡界を代表するグループとして走り始める。

1966年

4月、クラウンレコードからメジャーデビュー。

  • A面「涙とともに」(作詞/木村伸・作曲/中川博之)
  • B面「ラブユー東京」(作詞/上原尚・作曲/中川博之)

1967年

1年後にB面「ラブユー東京」が大ヒット、AB面を入替え、ジャケットもカラーとなり、再登場、大ヒットとなる。

1968年

「ラブユー東京」は、オリコン創刊号(1968年1月創刊)から2週連続第1位を獲得
銀座シリーズ第2弾「たそがれの銀座」は発売と同時にオリコンに登場。

4月29日発売オリコンHOT100に、「ラブユー東京」「雨の銀座」「ラブユーいとはん」「たそがれの銀座」の4曲がランクイン。

続いて、静岡県伊東市の城ヶ崎海岸に歌碑まで建ったという「城ヶ崎ブルース」、銀座シリーズ第3弾「恋の銀座」、当時タイトルが長く話題になった「さようならは五つのひらがな」、タンゴのリズムが軽快な「君からお行きよ」など次々と発表する。

昭和43年5月29日~31日・東京有楽町【日劇】で、ロス・プリモスショー開催。

「たそがれの銀座」で第19回NHK紅白歌合戦(1968年)に出演。

白組司会を務めていた宮田輝アナウンサーが総合司会に、紅組が水前寺清子、白組が坂本九という3人司会体制が初めてとられた。グループサウンズに代わってムード・コーラスが台頭し、黒沢明とロス・プリモス、鶴岡雅義と東京ロマンチカ、そして「恋の季節」のピンキーとキラーズなどが初出場。また実力派の森進一、美川憲一、千昌夫も初出場した。青江三奈が歌う「伊勢佐木町ブルース」のため息を、笛の音で表現するという“配慮”もあった。

1969年

ビクターレコードに移籍。移籍直後には「ヘッドライト」を発表。CM先行で発表した「せめてお名前を」は、札幌で火がついた。

1978年

横浜シリーズ第2弾「夜の横浜泣いてる私」を最後にビクターレコードを離れる。

1979年

クラウンレコードに復帰。
横浜シリーズ第3弾「小さなお店をもちました」、第4弾「ぬれて横浜」を発表。

1980年

黒沢明がコンサート中に倒れ引退。グループ名をロス・プリモスに改名。

1981年

デビュー15周年記念曲「誘蛾灯」を発表。

1986年

「城ヶ崎ブルース」の続編として『雨の城ヶ崎』を発表。
「ラブユー東京」が「ラブユー貧乏」(フジテレビ「オレたちひょうきん族」)になり、
「ハーブ湯東京」(「ライオン」CM)と形を変えて脚光を浴びる。

1989年

秋元康作品の「泣いたカラス」を発表。

1990年

秋元康作品の「雪の長岡恋の町」を発表。

1991年

デビュー25周年記念曲「アドレス帳」を発表。

1992年

「さよならララバイ」を発表。

1993年

シンガポール公演がきっかけで生まれた「雨の星港(シンガポール)」を発表。

1994年

「あなたのためなのよ」を発表。

1995年

「人妻夜雨」を発表。

1996年

デビュー30周年記念曲「いつまでも銀座」を発表。

1997年

平尾昌晃作品の「上海しのび逢い」、「好きですサッポロ」の続編、デュエット曲になった「魅せられてサッポロ〜好きですサッポロパートII〜」を、北島ファミリーの高見のり子と発表。
「小樽化粧」(瀬川瑛子競作)を発表。

1998年

「北緯四十度四十分」青森百石町町生75周年記念曲。

1999年

デュエットリメイクされた「さようならは五つのひらがな」「サッポロの星の下で」を、真帆花ゆり(現:伊吹友里)と発表。

2000年

デビュー35周年記念曲「灯りの中で」作詞/森聖二、補作詞・作曲/上野旬也。

2001年

「北の雪虫」(キム・ヨンジャ競作)を発表。

2003年

6月、デビュー40周年記念曲「フォーエバー東京」を発表。

2006年

デビュー40周年記念リサイタルは、ムード歌謡の発祥の地でもある有楽町よみうりホールで公演され、全35曲中、29曲を森が熱唱した。

2007年

1月、森が心筋梗塞で倒れ、緊急入院し約3か月の療養を余儀なくされるが、本人の努力のかいあって4月に現場復帰することが出来る。

2009年

4月、黒沢が長い闘病生活の末亡くなる。森は、いつでも黒沢が戻ってこられるようにと、あえてロス・プリモスだけの名前にこだわっていた。
10月17日、森が自宅で心筋梗塞の発作で倒れ、慶応病院に緊急搬送された。翌日の10月18日、治療の甲斐なく息を引き取る。享年70。

2010年

2010年6月、永山こうじが2代目メインボーカルとして加入。

2016年

2016年4月、NHK Eテレの朝の5分番組「0655」で「さらば、高円寺」「さらば、豊橋」を歌うと0655ファンの間で話題になる。

2019年

019年12月1日、永山こうじ、佐藤幸輝が事実上の解雇(※2019年12月3日所属事務所発表)により脱退。下記文書にて通告。