ロス・プリモスのPROLOGUE
こんにちは森聖二です。このPROLOGUEのコーナーは、ロス・プリモスの過去・現代・未来を、昭和・平成・令和と歌い継がれている「ラブユー東京」とともに振り返ります。
ロス・プリモスは、ビートルズ来日しミニスカートが流行した、1966年クラウンレコードより「涙とともに」「ラブユー東京」でデビュー。
B面の「ラブユー東京」が、皆様のお陰で大ヒット、ジャケットがカラーになり、再発売となりました。
ここだけの話ですが、私は「ラブユー東京」を何度歌っても、歌詞が好きになれないんです。何故って、歌詞が全て女性言葉で「あなただけが生き甲斐なの・忘れられない」「いつまでもあたし めそめそしないわ」「明日からはあなたなしで 生きてゆくのね」分かってもらえますか、でも私達「ロス・プリモス」の名前をメジャーにしてくれたのも「ラブユー東京」ですから、とても大事な曲で大切にしています。
歌手として、あの有楽町の「日劇」の舞台を踏めたことも、大晦日の「紅白歌合戦」出場できたことも、ベースに「ラブユー東京」が在り、それを応援して下さったファンの皆さまがいるからと感謝しています。
その後、「雨の銀座」「恋の銀座」「たそがれの銀座」と銀座シリーズを皆様に御支持頂き大ヒットへと繋がりました。激動の時代と言われた1970年代(昭和45年)。ビートルズが解散。1971年(昭和46年)マクドナルド日本第1号店が銀座にオープン、1978年成田空港が開港。
1981年昭和56年ボブ・マーリーが死去、1986年フライデー襲撃事件続き、激動の時代に終止符を打ちました。
2006年6月10日、銀座の玄関有楽町よみうりホールで、『ロス・プリモス 歌い続けて40年 ~愛と唄に魅せられて~』を開催、私にとってこのメンバーでのリサイタルに行ったのは、事実上最初で最後のものとなってしまいました。
よみうりホールのエントランスには、ロスプリがこれまでリリースしたシングルのジャケット写真を飾り、「ロス・プリモス40周年記念・ベストヒット」のLPを中心にレコードやCDと共に、スナップ写真や記念の団扇も販売されました。
最後は会場玄関付近でロスプリのメンバー全員が、ファンの皆様と握手させて頂き、お送りしたのを昨日のように覚えています。
平成・令和と時代が流れ、人間関係か希薄になり、2009年4月長い闘病生活を経てリーダー黒澤明が世を去りました。
私は、いつでも黒沢が戻れるようにと、ロス・プリモスの名前に拘っていたがその願いは叶わなかった。同年10月私も心筋梗塞で倒れクロサワの後を追うような形になってしまった。
その後、上野がロス・プリモスとしての活動を続けるが脱退。2010年6月、周囲の方々のご支援とご協力により、永山こうじが2代目メインボーカルとして新たに活動を再開しましたが、色々と問題を起こし解雇となったと、報告を受けました。
生前私や黒澤が信頼してきた後輩たちの気持ちを信用しすぎた私達に責任が有るのかも知れません。
今回、ロス・プリモスがクラウンレコードよりデビューする前からの仲間が、全てを一新しつつも、一時代を築いたイメージを大切に、次の世代へ継承していける様な形で、ロス・プリモスの再生をするとの事です。何事も「すぎる」と裏切られたと感じることが多くなります。
過度な期待せずと思っておりますが、私は聞くだけで何もすることが出来ません残念です。
お願いがあります。このホームページを御覧の皆様へ、このホームページを通じて皆様に色々な形で情報を発信し、又、皆様方のご意見ご希望をお聞きするコーナーも設けてあります。
皆様の率直なご意見ご希望を、聞かせて下さい。一週間以内程度で事務所の者、又は、FCの担当者からご返答させて頂くことになります。よろしくお願いいたします。
追伸、次世代に向けた「ロス・プリモス」への応援も宜しくお願い申し上げます。